服を選ぶ基準と原産国

 ある縫製工場のオーナーと工場の存続について話すため、今やまびこ号に乗っている。話す内容は駅中のCAFÉでの会話には到底ふさわしくない案件だが、敢えて工場内でも、酒の席でもない場を選んだ。このブログで自分の仕事について深く触れたことは無いが、15年間ジーンズメーカーで企画の仕事をしたのち独立し、今は工場を背景としたOEM会社を任されている。(縫製工場の運営管理までしているのでOEMという言い方が正しいかは分からないが便宜上そうさせて頂く)

今国内のデニム縫製工場は、大きな転機を迎えている。コロナ前慢性的な人手不足、生産拠点の海外流出などで縫製業はジリ貧だった。しかし2020年の春以降、コロナによる国内回帰、2022年からは先にコロナ明けした海外からの受注増が重なり、受注自体は増える傾向にある。しかしこれを手放しで喜べないのは、コロナ禍で人手不足の問題が加速し、仕事があるにも関わらず日々の運営がままならない工場が増えている現実に要因がある。

これまで工場をもつ事はリスクの方が大きいと一般的に考えてこられたが、先10年は生産拠点を持つことは大きな武器に転じ、ブランドは腕のいい工場のキャパを抑えるのに躍起になる時代に突入する。と私は考えている。

1時間後、この自分の希望(個人的には確信)と夢を彼に伝えるのが今日のミッション。日々の運営に苦しんでいる人間に言うべきことなのか一抹の不安はあるが、リーダーが夢や希望をもたない会社に将来性があるはずもない。

 

さて、タイトルの件。

イントロが長くなったが、そんな諸々を抱えながら生きている自分が選ぶ服(ブランド、SHOP)の基準。

若いときはもちろん何となくではあったが、今は明解に『 作り手の思いが宿っている(と感じられる)、 そしてそれに共感できる服』である。さらにもう一つ大切なのが、49という年齢、社会的な立場に相応しい服装であるかという視点。言い換えると会社の顔である自分に相手(特に顧客)が持つイメージに沿った服装であること、となる。若いころはジーンズメーカーに勤めながらジーンズを履かなかった。当時タブーだったサンダル(グルカ)を履いて行ってこっ酷く怒られたりもした(笑) しかし今はサンダルを履いて会社にはいかないし、毎日のようにジーンズである。自分が何者であるかを語る名刺のようなものとして服を選んでいる。

 

最後に原産国の件。

私は今出来るだけ日本製の物を買うようにしている。日本製=良品と盲目には考えていないし、自分を取り巻く環境によるところももちろん大きい。少なくはなったが私の同年代で同じようなキャリアを持つ人間が海外を生産拠点としているケースは多い。まったく否定する気はないのだが、飲み仲間には必ず絡む。

『 自分の子供が現場の作り手になりたいと言い出したらどうするの? 』

『 日本で考えたものを海外で安く高品質で作るのはもうユニクロに任せておけば良いのでは?』

『日本で作ったものを、海外に売りに行くことを考えるべき』

というわけで私は出来るだけ日本製、 もしくは同じような物価感覚の国で作られた物を優先している。

ユウスケさんのブログの内容が大変興味深く相乗りさせて頂いてしまった。

 

支離滅裂な文章になってしまったが、 そろそろ着くのでひとまず筆をおく。(後で少し加筆修正するかと)